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アバルトの開祖カルロ・アバルトは、一見激情家とも思われがちだが、実は思慮深く冷静沈着。その一方で、たぎるような情熱をも胸の奥に秘めた男だったと言われている。
とはいえ、彼の本質は、もっと別のところにあったと思われてならない。
彼の人生は、数多くの裏切りや回避できないような不運の連続だったが、そのたび立ち上がり、
必ず倒れる前以上の成果をつかみ取ってきた。
カルロの生き方を支えてきた原動力は、何があっても決して諦めることのない不屈の闘志と事態を切り抜けるための卓越なアイデア、そしてそのアイデアを実現するための行動力にあった。

カルロ・アバルトは、1908年11月15日に生まれた。生まれた時の名前は (Karr)、
すなわちカルロ(Carlo)の同義のドイツ名である。
カルロ・アバルトは純粋なイタリア人ではない。

創業当初から1950年代中盤にかけてのアバルトは、処女作204Aを皮切りに207や209などのレーシングスポーツを制作する小規模なコンストラクターに 過ぎなかった。当時のイタリアでは、いわゆる"虫系"スポーツカーを制作する バックヤードビルダーが、まるで雨後のタケノコのごとく乱立していたのだが、 黎明期のアバルト社もその一つだったのだ。 しかしアバルトがほかのコンストラクターたちと決定的に違ったのは、レーシングカー ないしはピュアスポーツカーのコンストラクターであるに留まらず、おそらく自動車史上でも世界初となる"チューニングカー"というジャンルを開拓したことだろう。
アバルト&C社は、50年代初頭からエグゾーストシステムやステアリングホイールなどの チューニングパーツ生産に乗り出していた。 同社の特製パーツは、同国のフィアットやアルファロメオ、ランチア用はもちろんのこと、
ドイツ車フォルクスワーゲン用や、50年代末にはシボレー・コルヴェア用なども制作され、ヨーロッパのみならず北米大陸でも大きな人気を獲得していた。 日本の車好きの間でも『アバルトマフラー』という言葉に懐かしさを覚える向きは多いに違いない。
そこでカルロは、自慢のチューニングパーツをフィアット量産車に組み込んだ コンプリートカーの生産を思いつくのだ。アバルトの読みは極めて的を射たもので、彼がチューンを手掛けたフィアットは、イタリア国内戦のみならず、ヨーロッパ・ツーリング選手権に代表されるような欧州大陸の国際格式ツーリングカーレースでも素晴らしい成績を収めるに至った。もちろんセールスの面でも大ヒットを博し、その直後に現れるルノー・ゴルディーニやミニ・クーパーなどの後身にも絶大な影響を及ばすことになったのだ。 カルロの名前と星座を冠した『世界一ホットなクルマたち』すべてに受け継がれ、未来永劫エンスージャストの体を蝕んでいくことだろう。 それがサソリの"毒"なのである。
 

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